明日香を通る古道の一つ、多武峰から峰伝いに吉野へ越える竜在越えがある。本居宣長の菅笠日記に記された道だ。その記述を辿って何度か歩いたことがある。今回は冬野まで車で行き竜在峠までのピストンという縮小版。
冬野の集落は数軒の家屋が今も残っているのだが、果たして住まいされてるのかどうか分からない。
「吉野へはこの門のもとより左にをれて別れゆく。はるかに山路をのぼりゆきて手向に茶屋あり。やまとの国中見えわたる所也。なほ同じやうなる山路をゆきゆきて又たむけにいたる。こゝよりぞよしのゝ山々雲ゐはるかにみやられて、あけくれ心にかゝりし花の雲かつがつみつけたるいとうれし」と明和9年、吉野へ向かった宣長は記述している。
最初の茶屋は冬野のことだろう。大和の国中見えわたる所という展望は今は無い。辺りは植林された木々に遮られ見えない。尾根伝いの道は杉檜の鬱蒼とした山道だ。小さなアップダウンを繰り返し30分程で竜在に着く。以前は無かった休憩所の東屋が建っている。思えばずいぶん久しぶりだ。分岐になっていて左は鹿路へ降りる道。左前方は細峠へと登っている。右前方は300メートルで竜在峠だ。
峠には日露戦争で戦死した村人の墓が建っている。峠からは吉野の山が一望できたはずだが、全く見えない。右に芋峠への道を取り、石仏のところまで行った。峠の南側には段状の平地がいくつかあり、集落や畑などがあったのだろう。ここから引き返した。
畑にあった明日香の展望所は20年ほど前に無くなった。その後撮影できるスポットも木が大きくなって見えなくなった。台風で木が倒れ思わぬ展望所が出来たが、それも植林され見えなくなった。明日香の展望スポットは今は無い。岡寺の上の山にある万葉展望台は、ここも木が大きくなり明日香の宮跡辺りは見えない。鳥瞰出来るような展望所が欲しいところだ。
車で下りて来る途中、かろうじて耳成山の見えるところがあった。