葛城市辺りをと思って家を出たが陽が差さず、うろうろとして傘堂で撮影していると品の良さそうなご婦人からお声がけをいただいた。どうやら二上山に登られるらしい。岳のぼりのことを話して五木寛之の作品にそんなのがありましたねといいながら、そのタイトルが何だったか思い出せないでいた。すると「風の大国」でしたね、お読みになりましたか、と返ってきて、その方は小説の中に記述されている人物O氏の末裔だという。毎週登っているとのこと。
実は二上山には登ったことがない。県内の山は殆ど登った気でいるが二上山には何となく機会がなかった。舞台「紅蓮の落日」では大津皇子を取り上げた。大伯皇女の歌は舞台でも何度か歌っている。年間何百枚も撮影する山、なのに登っていない。40分ほどで登ることができるという。それならばとお別れしてコンビニでおにぎりとお茶を買い登り始めた。
祐泉寺の紅葉は盛りを過ぎているがまだ目を引いた。道は左右に分かれ右の馬の背と呼ばれる雄岳と雌岳の鞍部につづく道を取る。小さな沢沿いの道は急坂となり息が切れ、しっかりと汗をかく。コナラなどの落葉樹帯になると鞍部に出た。河内側からは車も通れそうな舗装道路が上がってきている。新しいトイレがあり、登山客にはありがたい設備だ。雌岳に登る。500㍍に満たない山だがバイクを置いた鳥谷口古墳から40分の道のりだった。
頂上の展望はというとあまりよくない。おにぎりを食べ雄岳へ。神社があり、その先に大津皇子二上山墓がある。鳥居の向こうに小さな土盛があり常緑樹が植わっている。宮内庁の管理者が来て掃除を始めた。聞くと鞍部までバイクで登ってきたらしい。
また雌岳まで戻ったところで下で出会ったご婦人と会う。数人と話しておられ登る人は皆知り合いになるとのこと。それほど何度も登っている常連さんがいるのだ。帰りは違うルートで皆さんとご一緒した。
祐泉寺まで下ると、「風の大国」に載っている歌の碑がこれですとOさんが教えて下さった。1㍍ほどの石柱に歌が刻まれている。帰ってから書棚をさぐり本を取り出した。メルセデスのストップランプが切れていることでパトカーに止められる書き出しは間違っていなかった。石柱の歌「南無阿弥陀 佛の御名を呼ぶ小鳥 あやしやたれか ふたかみの山」が判明した。その意味はもう一度本を読み直すしかない。