飛鳥京跡苑池の現地説明会があった。12年前に発掘されて流水施設の石造物などが見つかった。その後、池は北側でも見つかった。渡り堤を挟んで南北に100㍍程の規模になるらしい。その南池がさらに範囲を広げて今回調査された。西は飛鳥川、東は宮跡に続く。宮跡へは段差があり、3㍍程大きな石が積み上げられている。平安期に改修された部分もあるらしい。
明らかになるにつれ飛鳥京のイメージがより具体的になってきた。壬申の乱で勝利し、凱旋した大海人と讃良もこの池の畔に立ったことだろう。苑池が復元されるようだが、その畔に立つ施設を宮殿の一部と思えるようなシルエットにして欲しいものだ。飛鳥時代を彷彿とさせるイメージ作り、そんなロケ地にふさわしいい施設がどうしてできないのだろう。