今日から霜月、11月だ。朝6時半、真弓から佐田の丘陵が白いベールをまとったように見えたのであわてて家を出たが、それはもっと遠く金剛山系の麓、風の森峠の方だった。佐田といえば村の鎮守さんにある束明神古墳が陵墓に比定されると立ち退きになるやも知れんと、住民がそれを壊して隠したという話を聞いたことがあった。うろ覚えだが村人は殆ど同じ姓で的場だったような気がする。草壁皇子のこともよく知っておられた畑仕事のおばあさんが話し相手になってくれた。
その束明神が今日の朝日に載っていた。確か今日…、だと思う。何せなんでもうろ覚えだ。佐田の丘陵は飛鳥の関所のような役割を果たしていたようで、近くから物見櫓のような建物跡が発掘されている。重要な場所だったようだ。周辺を歩いてみるとよくわかる。
まあ、そんなことでそちらには向かわず、コスモスやススキを撮った。門脇先生がこだわっておられた宮跡から見上げる多武の峰、その辺りをもう一度見直して歩いた。