途切れることなく毎日何かを撮影しようと心がけているのだが、これが結構辛いものだ。同じような被写体ばかりでは新鮮さが無い。先日の野迫川などはその点久しぶりで盛んにシャッターを切った。
今日は生駒のクラブの講評会を終えて飛鳥に帰ると、日がまさに落ちんとする時だった。眩しいまま沈んでいく夕日だ。その光を受けた蓮を家の近くで撮影した。思うようにいかないロケーションだが、首がねじれそうなアングルで撮影した。
そこではたと気づいた。よく見ると三脚の棒が1本無い。ジッツォの雲台で前後の角度を変える棒が2本あって、その内の短い方だ。何とかロックできるのでつかえないこともない。この前バイクで走っていたときに何か落ちたような気がしたのだが、きっとそれだったのだ。バイクはネジ類がゆるみやすいので気をつけないといけない。