先日の新聞に「奈良瑠璃絵」だったか、来年2月に奈良公園で発光ダイオードによるイルミネーションの催しをやると書いてあった。最近あちこちで灯りによる催しがひらかれている。都会なら虚構の世界の姿でいいのだろうが、奈良公園で何で?と興ざめしてしまう。どこそこのお家がクリスマスになるとまるごとおとぎ話の世界のように飾り立て、競うように我が家もと、またまたそういうお家が現れる。見物にひとが集まり、まるで名所のようになっているところもあるとか。お好きなようになさればいいわけでどうこう言うつもりはないが、新聞にも新たにそういうお家が出来たと書いていた。明日香でも数軒そういう飾り立てたお家がある。
ひとはろうそくの明かり1本でも、そこからイメージを膨らませた。それは無限に広がる大きな世界への入り口であった。それぞれの脳裏に浮かび上がるイメージは、それぞれに違った独自の展開を見せ、個々の独創性があった。創っていくという行為を無意識のうちに皆行っていた。いつからこうなったのだろう。直接目の前に現し、すべて見せなければ感じることの出来ない人たちが増えたように思う。
こんなことでいいのだろうかと思うようになったのは歳がいったということなのか。何となくずるずると何でもありのような古都にはなって欲しくない。