昔見し象(きさ)の小川を今見ればいよよ清(さや)けく成りにけるかも
聖武天皇の吉野宮行幸に伴した時に大伴旅人が詠んだ歌。吉佐谷を下った小川は桜木神社を通り吉野川に流れ込む。この合流する辺りが夢のわだと詠われた所だ。旅人は太宰府に赴任してしてからもこの宮滝を懐かしんで詠っている。
我が命も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川を行きて見むため
我が行(ゆき)は久にはあらじ夢(いめ)の曲(わだ)瀬とはならずて淵にてありこそ
昨年NHK教育テレビの放送で、歌のイメージカットに旅人役で出演したものだから、妙に身近に感じられるようになった。家持はまだ十歳を過ぎたぐらいだろうか。それでも太宰府での父親を見て育つ家持は少なからずその影響を受けただろう。権力争いから一歩退いた家持。太宰府歌壇が花咲く時代だ。
吉野宮と言えばどうしても大海人、讃良を思い浮かべてしまうが、時を経ても歌に詠われ人々の心の中に強いイメージを植え付けている場所だ。
桜木神社は紅葉に彩られ、いよいよ静かに鎮まっていた。象の瀬音は絶え間なく、夢のわだへと落ちている。