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しらびそ高原
 しらびそ高原へ行ってきた。長野県の上村、今は統合で飯田市になっているが静岡県との県境にある。目の前に南アルプスが展望出来る標高1,900米の高原だ。紅葉は例年10月20日頃といわれているのだが、今年は残暑で大幅に遅れている。少し始まったという感じだ。それでもトチノキのきれいな紅葉が見られたし、それなりに被写体はあり十数名の参加者は思い思いにシャッターを切っていた。ホテルは1,918米にあり、長野のサンセットポイント100のひとつだ。幸運にも素晴らしい夕陽を見ることが出来た。夜は星の観測で知られた場所と聞いていたが、月夜で明るすぎた。ただ流れるイワシ雲が見えていたので、夜空の撮影をしてみた。ISO400、レンズの絞り4.5で30秒露光。星も写っていた。仕事とはいえ、信州に足を踏み入れた何とも言えぬ開放感があった。
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by asuka-ji | 2007-10-25 15:36 | 日々 | Comments(2)
 母が脳梗塞になったのは3年前。4〜5ヶ月後に認知症で一人にしておくことが出来なくなってデイに通うようになった。デイへの送り出しと受け入れのため朝夕の肝心な時間帯に撮影出来なくなった。ここ2年は休業状態のようなものだ。依頼仕事も時間を気にして受ける気にならず、残念だが断ることも度々あった。とはいっても事務所の経費分だけでも稼がねばならず、時々時間に余裕のある撮影は受けることにしている。
 母と接する時間が長くなって、それまで殆ど知らなかった母の生い立ちなどを知ることとなった。そんなこともあって先日能登に行ってきたのだが、考えてみると成人してからはあまり話をすることはなかった。認知症であきらかに世代の違う人らが一緒になって同じ舞台に登場したり、縁戚関係がごっちゃになる話の中から聞き取るのは疲れるが、それでもおぼろげながら母のイメージするふるさとが見えてきた。
 考えを異にする団体に入った父母をよく思ったことは無く、30年ほど同居していながら温和に話すことはなかった。話せば激論となり、激昂した。親子なのに…といつも悲しかった。唯一、秋になると紅葉の下で鍋を食べた。家族そろって吉野の山奥で。その日だけは家族だということ意外に何も思わず。父も母も嬉しそうな顏をしていた。冷え込んで寒くなると清流と紅葉の下での鍋を思い出す。
 藤原京に置かれた朱の列柱。
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by asuka-ji | 2007-10-21 17:03 | 日々 | Comments(3)
ふるさと
 先日の地方紙に地元選出の代議士と首長らが鼎談する記事が載っていた。吉野川を鮎が遡上する川に改修しつつあること、莫大な費用がかかるが魚道を整備し清流を取り戻そうと。だが上流のダムの放水により水温が下がり、底に堆積した泥も流すため鮎の好む川になりにくいこと、そのためにまた莫大な費用がかかるのだがダムの放水口を上の方に付け替えることなどが話されていた。また道路を走っていても杉檜の植林ばかりで、これらを広葉樹に植え替えれば紅葉街道として新たな観光客も誘致出来る等々…。
 まことに結構な話のように見える。この人たちはいったいどのような目でふるさとの大地を見てきたのだろう。ダムは一体誰が造ったものなのだろう。川を人工的にせき止めればその弊害は必ず出る。それよりももっといいことがあるから住民の反対を押し切ってでも建設してきたのだろう。山だってそうだ、雑木は金にならない。杉檜で金のなる山にしようと政府が奨励してきた産物だ。芋峠から見た吉野は青山の連続だ。わずか100年ほどでふるさとの山河は見違える?ほど変わった。
 自然は誰のものでもない。ましてゼネコンや官僚の私物ではない。おそらく人のものともいえないだろう。動物や植物やこの地球上に命をあずけるすべてのものに等しく大切なものだ。
 秋になると思い出す、芋峠附近はものすごく紅葉がきれいで毎日山に入って遊んだと奥明日香の古老が話してくれたことを。
 12日夕、食事の用意をしようと思っていたら空が焼けた。ベランダに出ると、西の空に朱雀が羽ばたくように見えた。
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by asuka-ji | 2007-10-16 15:28 | 日々 | Comments(4)
反省会
 聖徳太子の撮影ビデオを見て反省会をした。あの感動をもう一度、といってもライブと映像では大違い。役者も自分のまずいところが出て反省することしきり。だがよくやった。今までで最高の舞台になったと思う。時間のない中、あれだけの舞台装置が完成し観客は感動してくれた。後から頂く言葉は賞賛ばかり、でもひとそれぞれ、そうでもなかったと思った方もおられるだろう。個人的には反省点が多くあった。各スタッフとの連絡不行き届き、意思疎通がうまくはかれていないなど、細かな失点があった。
 でも体験学習の対応で30分芝居「大化改新」を今月末に奈良のホテルで、来月半ばに風舞台で、それぞれ上演しなければならない。都合のつかないキャスト、その代役となる役者の確保など頭の痛いことが山積みとなっている。もう少しメンバーが多ければ役者も養成出来、余裕ができてくるのだが…。なんとかしないとこなせない。依頼を受けるのは何週間から何ヶ月前だから、間際になって都合のつかないメンバーが出る。プロではないから仕方ないのだが、いくら頑張っても二人分は演じることが出来ない。
 先週水曜日、ハザ掛けの横で曼珠沙華がまだ咲いていた。仕方なく秋は足踏みしているみたいだ。
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by asuka-ji | 2007-10-15 15:11 | 劇団時空 | Comments(2)
能登
 能登へ行ってきた。母の生まれた郷は和倉温泉から数キロ北へ行った笠師という村だ。子供の頃を含めても2度行ったことがあるだけで、おぼろげな記憶しか無い。それは母のいとこにあたる親戚があるだけで生家は無くなっているからだろう。認知症になってから笠師の話をよくするようになった。「せいだみの父ちゃん」「しんたく」「ころくの誰それ」というふうにそれぞれ屋号のような呼び方があるようで、ちなみに母の家は「りょうもん」といったらしい。小さい時からあまり詳しく能登のことは聞かされていなかった。小学校のとき父を亡くし、兄が事業をするがうまく行かず、娘のころ兄は母を伴って北海道に移住してしまう。だが母はついて行っていないようだ。京都の祇園で和裁を学び能登で農協に勤め、その後 伊丹の住友へ行く。そこで父と出会う。
 母が子供の頃は裕福な生活をしていたらしい。それにくらべて父は学校を出ると直ぐに大阪へ奉公に出た。そのためかいつも父の苦労話を母から聞かされた。自分の子供の頃と比べてその違いに遠慮でもしていたのだろうか。能登の話はあまり無かった。
 というわけで、ボケた母から能登の話を聞き取りし、わずかでも母を知る人がいるうちにと思い立ったのだ。何せボケた母と知らない息子らではどうにもならないので能登の福浦から宝塚に出ている、いとこに同行してもらった。おぼろげな記憶はいいかげんだったが、「せいだみのとうちゃん」とこの20畳にいろりをきった吹き抜けの居間は記憶通りだった。地震で家が少し傾いているらしく建具が隙間をつくっている。「もうどうにもならんさ」とあきらめた風。同級生ら数人が集まっていただき、思い思いに涙を流しての対面となった。お墓参りをと近くの大覚寺に行くと倒壊した鐘楼の工事中だった。墓石は皆倒れたり横向いたりしたらしいが、守をするものがいない生家の墓石だけがしっかりと立っていたらしい。
 泊まった和倉温泉で夕食を前にして母が急に帰りたいと言い出した。「裏の坂を越えたらすぐ家やから」と。なんとかなだめて食べさせたがますます機嫌が悪く、疲れた私は二人に任せて隣で寝かせてもらった。翌朝、隣室に行くとご機嫌な母がいる。昨夜のことがまるで嘘のように、ベランダから海鳥の舞う姿をこどものように見ていた。
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by asuka-ji | 2007-10-09 16:33 | 日々 | Comments(7)
10月
 10月になった。時空公演の後、ぽっかりと穴があいたように何をする気にもなれず、畑に冬野菜の種まきをしたぐらいで、シャッターも切っていない。カメラを担いで歩こうという気が起きないのだ。残暑のため彼岸花もまだまだ残っていて、被写体はあちこちで待ってくれているのに、どういうわけか身体が動かない。
 昨日は冷たい雨のため、家で終日母の相手をしていた。夜に何度も起こされるので居眠りをしながら、デイで預かってもらう有難さを思った。夜の1時から4時頃まで何度か起こされると、こちらの口調も荒くなる。それが逆効果だとさんざん分かっているのだが、人間ができていないものだからしょっちゅうそんなはめに陥る。母のめんどうを見るだけの生活なら仕方ないが、一応仕事もしているのだから気にしなくていい日が続いて欲しいと思ったりする。
 公演の間ショートステイに出した。何度か頼んだことのある施設はいっぱいで、あちこち当たってもらい結局御所まで行った。秋になると出掛けることが多いためか年寄りは預けられてしまう。10月は空いていませんとのこと。特に土日から埋まっていくようだ。どんな理由があれ邪魔者を預けるのだ。帰ってきた母に日頃より優しく接している自分がいた。
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by asuka-ji | 2007-10-01 14:15 | 日々 | Comments(4)



写真家・上山好庸
(社)日本写真家協会(JPS)
会員
昭和25年明日香村生まれ。
48年中京大学卒業。
奈良新聞社を経て写真家を志す。
61年フリーとなる。

※写真の無断転載はご遠慮下さい。
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